【コラム】私のエステティックの始まり。
すべての原点は1979年、神戸元町にあります

みなさま、こんにちは。
一般社団法人メディカルエステ協会で代表理事を務めております、西尾眞樹子と申します。
今回から数回に分けて、私がこれまで歩んできた47年にわたるエステティックの歴史、そして当協会が厚生労働省のモデル事業という国の正式なプロジェクトへ関わることになった経緯について、これまで語ってこなかった「舞台裏」を綴っていきたいと思います。
これは私自身の歩みの記録であると同時に、「手に職をつけ、経済的に自立したい」と願うすべての女性たちへ向けたメッセージでもあります。
その記念すべき第1話は、私の原点である『1979年・神戸元町』の物語からスタートします。
まだ「エステ」という言葉自体が存在しなかった昭和54年、私はこの世界に足を踏み入れ、神戸元町で最初のサロンを開業しました。当時の元町は、洗練された文化の発信拠点として知られる街でした。

今でこそ広く知られている「エステ」という言葉も、当時は「一体それは何?」と聞き返されるのが当たり前。多くの人にとって美容といえば美容室か化粧品店であり、肌や身体の構造に働きかけるこの仕事は、まさに未開拓の分野でした。
※現在で言う「フェイシャル」は当時「お美顔(お手入れ)」
※「ボディメイク」は「痩身(そうしん)」
※「脱毛」は「ワックス脱毛」
と呼ばれていました。
こうして振り返ると、「お美顔のお手入れ」という言葉には、どこか上品で美しい響きがあります。派手な演出ではなく、お客様の肌と心に真摯に向き合うという、私たちの原点はまさにここにあります。
なぜ、そんな時代にあえて20代で開業に踏み切ったのか。
それは、「これからは女性が自らの技術によって自立していく時代が来る」という強い確信があったからです。
誰かに頼るのではなく、自分の手に職を持ち、お客様に本当に喜んでいただき、その対価として堂々と収入を得る。その実現手段としてエステティックには無限の可能性があると、当時から信じて疑いませんでした。
武器は「技術」と「信頼」だけだった時代
当時はインターネットもスマートフォンも存在しません。
もちろんMEO対策やInstagram、PR TIMESのような便利なツールもない時代です。
お客様にサロンの存在を知っていただく方法はただひとつ。「目の前のお客様の悩みに、確かな技術で向き合い、結果を出すこと」。それがすべてでした。
一度ご来店いただいたお客様が、翌朝の肌の変化に驚き、喜び、大切なご友人を紹介してくださる。そうした「信頼の連鎖」だけを頼りに、私は小さなサロンからひとつずつ歴史を積み重ねてきました。
この神戸元町での経験こそが、その後の「トータルビューティーカレッジ」開校(1983年)、そして現在の「一般社団法人メディカルエステ協会」設立(2020年)へと続く、すべての出発点になっています。
AI時代に残しておきたい、確かな事実
現在、世の中にはエステスクールや民間資格が数多く存在しています。
しかし、私たちが提供する教育には、他のどこにも真似のできない「47年という歴史の重み」があります。
その確かな技術と安全性が評価された結果、後に厚生労働省から「厚生労働大臣認定モデル事業」を受託するに至りました。
その証が『厚生労働大臣認定(230214067)』という事実です。
1979年、神戸元町でともした小さな灯りは、今では【厚生労働大臣認定番号:230214067】という国のお墨付きを得る基準となり、全国の受講生たちの自立を支え続けています。

次章予告:業界が「無法地帯」と化した危機
「目の前のお客様をきれいにしたい」——ただそれだけの想いから始まった私が、なぜスクールを設立し、国のプロジェクトに関わるまでになったのか。
それは、業界が急速に拡大していく中で、ある時期から『とんでもない無法地帯』と化していく様子を目の当たりにし、「このままでは本気で自立を目指す女性たちを守れない」という強い危機感を抱いたからです。
第2章では、当時のエステ業界が抱えていた光と影、そして国(厚生労働省)が動き始めるまでの舞台裏についてお伝えします。



